
■南九州の旅 私の二日間
細川和子(東京都台東区)
日常をあれほど忘れたことは、ここ何十年か無く、日常を忘れている自分にも気がつかず過ごした南九州の旅でした。あれから一週間が経ち、スーパーに買い物に行けば鹿児島産のそら豆を選び、初めて食した味と「たんかん」という音にひかれて、目につけば買い求めている私であります。
3月20日の土曜日は東京は雨でした。私は郷里の浜松で、同窓会出席のために新幹線の中でした。先週12日も雨の中、初めて降りた鹿児島空港を思い出してしまいました。そして久しぶりに、あんなに緊張した前の晩、人生で二度目の飛行機、「バスじゃないからボタン押しても降ろしてくんねぇぞ」と家族に脅かされ、こんな超スタートから緊張しなくちゃいけない自分が面
倒になってしまいました。なんとか旅の準備を終えたのは当日の午前2時。その数時間後にやっと乗った飛行機が無事着陸したときにはほっとしました。もう始まったんだから、何とかなると昨日までの緊張がすーっとなくなり、空港の集合場所の柱に集まっている、皆さんとの出会いがありました。「おはようございます。よろしくおねがいいたします」
南九州の思い出は、やはり人との出会いと美しい景色でした。まず、行く先々でのスタッフの皆様の素晴らしさは私たちを安心させてくれました。そして、鹿児島の島津の殿様、西郷さん、熊本の細川の殿様が、今も息づいて暮らしの中にあるのを会話のちょっとした中に見つけてきました。江戸からは遥か南の地ではあっても、住人にとってはそれはあちらの都合でこっちにはこっちのやり方があるんだという。強い思いを感じました。ご先祖様が築いた歴史や文化を誇りに思い、守って伝えていこうとする姿勢は素晴らしく「九州国」がここにはあるんだろうなあと感じました。
また、雨の景色が印象深く残っています。パンフレットと本物の印象が同じだった少年のような特急はやと、神様が住んでいた霧島神社、エスケープの言葉がぴったりだった天空の森、沈壽官先生の言葉の美しさと重み、興奮でいささか疲れ気味だった体を和ませ、癒してくれた「石原荘」でした。
次の日は暑いとも思うほど晴れ、どの着物をきたらいいのか、迷ったことなんてすっ飛んでいくくらい。皆さんとも知り合いになり、肝心な新幹線の車内では、ついおしゃべりに夢中になってしまいました。
帰京してすぐに、あらためて和樂のあの応募ページを見直し、頂いたパンフレットを何回もながめ、ああ、なんてすてきな旅だったんだろうと何回もこころの中でつぶやいていました。楽しみが苦しみに感じた出発前、やっぱり楽しみにしていて良かったんだと感じきった二日間を思い出しました。
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