お披露目会



九州新幹線「つばめ」に乗車し、南九州を楽しむ旅”特派記者報告(3)



■風は南から! 九州が華やぐ日
久乗由美子(石川県小松市)

「ふるさとは遠きにありて思ふもの…
         そして悲しくうたふもの…」
沈壽官氏の穏やかな語りに接したら、犀星の詩が交錯する。静かに静かに四百年に及ぶ族の叫びが伝わってくる。殊に「天空の森」には沈氏の美しい日本語がふさわしい。神々の降り給ふた地…が人々を育んできた証がここには有った。

肥薩摩「はやとの風」の試乗。視野いっぱいの景観を堪能したかったのに生惜の雨…。でも、これも「島津雨」と表しここ鹿児島では吉祥の兆しであると迎えられるという。何とも心地よいひびきであろうか…

初乗りの新幹線「つばめ」は部分開通ながら地元の人達の永年の悲願に報われて、三月十三日は、鹿児島中が最も華やいでいた。立ち会えた幸運に心から感謝したい。

天降川畔の妙見「石原荘」にも期待以上のものがあった。美食はもとより、おもてなしの心が随所に見られ、癒される宿…。「ホタルの幼虫に気をつけて!」露地の表標がやさしい。露天風呂に身を委ね、光の舞いを楽しむために訪れてみたいと、ふと思った。

作家、五木寛之氏曰く「日本を歩いてみると、狭いこの国がやけに広くってネ…」が実感となって、私ももっとこの国を知りたくなった。スピードを楽しみながらも、ゆとりの旅を探してみよう、と…

 

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お土産は「薩摩系びな」を。
写真/久乗由美子



■肥薩線に乗って

松永あや子(福岡県北九州市)

その日は朝から小雨模様、福岡からの飛行機は、真っ白な雲の中を飛んで鹿児島に到着しました。いざ憧れの肥薩線、まず嘉例川の駅へ。明治に作られてから百年という、古めかしくも懐かしい駅舎です。旅の参加者の中から、私が子供の頃は国鉄の駅はどこもこんなでした、という声がちらほら聞こえてきます。

最初の停車は真幸駅です。「真の幸せ」という名前の駅ですが、終戦直後に、駅の近くのトンネルで復員兵を乗せた汽車が立ち往生し、車外に出た人達を五十名以上も轢いてしまうという惨事があったのだそうです。あっという間にすぎてしまいましたが、トンネルの入り口の大きな白い立て札が見えました。

プラットホームにある幸せの鐘を鳴らしに皆は走りましたが、私は反対側に走ります。そこには八トンもの大岩がありますが、これは昭和四十七年に起きた、周辺の様子がすっかり変わってしまったという大土石流の名残なのです。最後に私も鐘を鳴らして、今は静かな秘境駅を離れました。

内田百聞先生は昭和二十六年に肥薩線で鹿児島から八代まで行きました。車内は生魚の手荷物を持った魚屋でいっぱいで、生臭さに閉口したようですが、矢岳に到着したときには一人もいなくなったとのこと、当時は鹿児島からの生活圏の限界だったのだろうと想像できます。

次の大畑は日本で唯一のループ線上のスイッチバック駅です。窓からはるか下方に円を描いた線路が見えました。昭和二年に現在の鹿児島本線が開通 するまでは、このルートが鹿児島本線だったそうです。当時の賑わいは夢のかなた、今は鉄道マニアでも人気の秘境ローカル線です。外は霧雨が降ったり止んだり、山の木々の間に霧がわいて遠くは見えません。肝心の三大車窓はちらりとしかみえませんでしたが、それでも思わず感喚の声をあげる風景でした。やがて救磨川を渡って人吉に到着、私の旅も終わりとなりました

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肥薩線、最初の停車は「真幸(まさき)駅」。“真の幸せ”という名前から、幸せの鐘をならす人が多いそう。



■「和」の九州新幹線ツバメ

坂元照代(鹿児島県姶良郡)

三月十二日の鹿児島中央駅は、大勢の人の祝賀ムードで熱気と歓喜にあふれていました。毎日のように、新聞やテレビで、―九州新幹線開業、鹿児島中央~新八代「つばめ」最短三十四分― を、目にしていたので、私もとうとうこの日が来たのだと、鹿児島中央駅で胸がいっぱいになりました。「木のぬ くもりがする新しい高速移動空間のかたち」「九州の素材と技が生きる車内」といわれている「つばめ」は、桜材のロールブラインドや柿渋色の壁など、しっとりと落ち着いた和の雰囲気で、座席は一人ひとりのスペースがひろくすわり心地も良くゆったりとした気持ちで、三十四分間の乗車を楽しむことができました。

「つばめ」は、着物姿がぴったりと合う大人の和のイメージの新幹線でした。着物を着るのは、十数年ぶりでしたが、どうしても参加したくて、ここ最近にない集中力で着付けを練習しました。「着物を着て、開通 記念の九州新幹線ツバメに乗車し南九州を楽しむ旅」に参加できて、幸運でした。今回の新幹線の旅は、行く先々で素晴らしいおもてなしを受け、郷土の歴史を学び、また一緒に旅行した皆さんから、人の温かさ、着物を着る楽しみを学んだすばらしい旅でした。




■南九州の旅 私の二日間
細川和子(東京都台東区)

日常をあれほど忘れたことは、ここ何十年か無く、日常を忘れている自分にも気がつかず過ごした南九州の旅でした。あれから一週間が経ち、スーパーに買い物に行けば鹿児島産のそら豆を選び、初めて食した味と「たんかん」という音にひかれて、目につけば買い求めている私であります。

3月20日の土曜日は東京は雨でした。私は郷里の浜松で、同窓会出席のために新幹線の中でした。先週12日も雨の中、初めて降りた鹿児島空港を思い出してしまいました。そして久しぶりに、あんなに緊張した前の晩、人生で二度目の飛行機、「バスじゃないからボタン押しても降ろしてくんねぇぞ」と家族に脅かされ、こんな超スタートから緊張しなくちゃいけない自分が面 倒になってしまいました。なんとか旅の準備を終えたのは当日の午前2時。その数時間後にやっと乗った飛行機が無事着陸したときにはほっとしました。もう始まったんだから、何とかなると昨日までの緊張がすーっとなくなり、空港の集合場所の柱に集まっている、皆さんとの出会いがありました。「おはようございます。よろしくおねがいいたします」

南九州の思い出は、やはり人との出会いと美しい景色でした。まず、行く先々でのスタッフの皆様の素晴らしさは私たちを安心させてくれました。そして、鹿児島の島津の殿様、西郷さん、熊本の細川の殿様が、今も息づいて暮らしの中にあるのを会話のちょっとした中に見つけてきました。江戸からは遥か南の地ではあっても、住人にとってはそれはあちらの都合でこっちにはこっちのやり方があるんだという。強い思いを感じました。ご先祖様が築いた歴史や文化を誇りに思い、守って伝えていこうとする姿勢は素晴らしく「九州国」がここにはあるんだろうなあと感じました。

また、雨の景色が印象深く残っています。パンフレットと本物の印象が同じだった少年のような特急はやと、神様が住んでいた霧島神社、エスケープの言葉がぴったりだった天空の森、沈壽官先生の言葉の美しさと重み、興奮でいささか疲れ気味だった体を和ませ、癒してくれた「石原荘」でした。

次の日は暑いとも思うほど晴れ、どの着物をきたらいいのか、迷ったことなんてすっ飛んでいくくらい。皆さんとも知り合いになり、肝心な新幹線の車内では、ついおしゃべりに夢中になってしまいました。

帰京してすぐに、あらためて和樂のあの応募ページを見直し、頂いたパンフレットを何回もながめ、ああ、なんてすてきな旅だったんだろうと何回もこころの中でつぶやいていました。楽しみが苦しみに感じた出発前、やっぱり楽しみにしていて良かったんだと感じきった二日間を思い出しました

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2日目、隼人駅で「特急きりしま」を待つ間、駅長さんとパチリ。艶やかな着物姿の女性が20名もそろう姿は圧巻です。



■私がはじまる記念日として
新村悦子(静岡県焼津市)

贔屓の会に参加するのは今回初めてでした。今までお茶会とか心惹かれる企画はたくさんありましたが、時間の関係で参加出来ずにいました。退職した今これから何をしようか何ができるのかを思い悩んでいて、それでもたぶん何も変わりはしないだろうなと、昨日と同じ一日を過ごしていたときに今回の企画が目に入り、これだと思い応募しました。

振り返ってみると、周りにはそれぞれの素敵な女性がいてもう一度やり直せるならあの人のようにとか、思う事が度々ありました。その中の一人の方ですが、明治の強い姑に長いこと仕えその姑を見送った今、自分の行動が正しいのか指示者をなくして不安な自分に、強固な壁の陰で過ごして来たことに気付いたという話を聞き、うなずくと同時に今回の応募を後押しされたのでした。

前書きが長くなりましたが、今回の旅は、何もかもすばらしく楽しいものでした。天空の森での沈壽官氏のお話は14代の長きに渡る焼き物への情熱、他国に故郷を持つ者の強く誇り高い振る舞い、心に深く伝わり涙してしまいました。また、今も神々が住むような自然が多い鹿児島を愛し、利便を優先した変貌を期待しない古き日本人を感じました。

九州新幹線「つばめ」の鹿児島中央駅から新八代駅間はトンネルで遮られることが多かったのですが、晴天のもと鮮やかな青い海を左に眺めながら、優雅な雰囲気の座席に着物でゆったりと過ごした至福のときでした。前日は嘉例川から人吉まで、特急「はやとの風」に乗車しましたが、車内は木調の広々とした展望車付きでこれもまた、高級感漂う雰囲気で車窓からは日本三大車窓に数えられているという霧島連山とえびの盆地の眺めや珍しいスイッチバック方式で坂を登る様子を体験し、真幸駅では幸せの鐘を鳴らし、子供のように明日からの幸せを信じていました。

一泊二日の旅はあっという間に過ぎてしまいましたが、私の第?小節のはじめとしての記念日になりました。皆さん、有難うございました

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スイッチバックを繰り返す肥薩線。



■南九州を旅して
鯨井かよ子(千葉県千葉市)

期待と不安で鹿児島空港へ着いた時は、あいにくの雨。と思ったが、地元の人は皆、“島津雨”と呼び、旅人を歓迎する雨、あるいは好事があると降る雨、と言って私達を迎えてくれた。まさに優しい心遣いの薩摩人。今回旅の色々な場面 でこの優しさに触れることができたのは、本当に幸せな事だった。

無人の嘉例川駅に停んだ時は、そぼ降る雨の中に、遠い何かとても懐かしいものを感じた。ホォーと深呼吸をしてみる。体の隅々まで自由な空気が流れ染み込んで来る。解き放たれた自分。列車“はやとの風”に乗り車窓より外を眺めると、どのお墓にも美しい花が供えられている。お彼岸でもないのに…。木を使った座席のスペースで温もりと楽しさを乗せて食べた“つばめ弁当”。

そして天空の森へ。広大な敷地にプライベートな空間を持つ。きっと大人への極上の休日を楽しむ事が出来るだろう。そこでの14代沈壽官氏の講演は心打たれるお話であった。15代目への襲名の時の話。先生とお孫さんとの語らいの中で脈々と流れる一本のすじ。感涙。高千穂峰の山合いに建つ霧島神宮での宮司さんのお話を伺いながら、珍しい植物の絵が素晴らしい天井絵に強く惹かれる。全身に感じるこの冷気は、ニニギノ命が降臨した所という昔話にぴったりだ。小雨の中で、旅は明日への期待でいっぱいになる。

バスは妙見温泉「石原壮」へ。天降川に突き出た露天風呂に行く途中“蛍の卵を踏まないで”という看板が石畳に建ててある。心優しい気遣い、何気なく置かれている部屋のしつらい。どれをとっても何と心安らぐ宿なのだろう。小鳥のさえずりで目覚めた朝、昨日とうって変りピーカン!! 各々の個性ある着物姿でいよいよ九州新幹線「つばめ」に乗車。エグゼクティブクラス感の内装、女性にぴったりの車内はこれから大人の女達が満足する旅へと誘ってくれると思う。

今回の旅で特に感じた事は、「一期一会の心のもてなし」。日常生活もひとつ一つ丁寧に生きていきたい、と強く心に決めた事でした。楽しいうれしい充実した二日間の旅だった

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「石原荘」出発前に、記念撮影。
写真/鯨井かよこ子


■新旧の電車を比較する贅沢
西田和美(兵庫県神戸市)

このたび「和樂」の特派員記者として、一泊二日の「南九州を楽しむ旅」に参加させて頂いた。朝、鹿児島空港に集合し、九州新幹線つばめと同日開通 の「はやとの風」に乗車するため、嘉例川駅へと向かった。百年を超える木造の無人の駅舎の前の広場には、懐かしい万国旗が四方を囲み、手作りの看板とともに、この山奥のひなびた景色によくとけ込んでおり、私達旅人の心をほぐしてくれた。

人吉駅まで行く一時間半の旅は日本三大車窓に数えられる霧島連山、えびの盆地を見渡せ、(今回は小雨のため、霧に煙った山々だったが、これも趣きがありよかった。)真幸駅では、童心にもどり、「幸せの鐘」を鳴らしていた。人吉から吉松間は、千メートルで三十メートル登る急勾配の難所を国家の威信をかけ、トンネルとループ、スイッチバッグを駆使し、登っていくという、とても都会ではできない貴重な体験をさせてもらった。この区間の列車には、その難工事を成し遂げた明治の偉人の名を取り、「いさぶろう・しんぺい号」となっている。地方では昔の偉人の名を乗り物や地名、建物に付けて、誇らしげに保存している姿勢が私は好きだ。

この後、「天空の森」「霧島神宮」と一般にはなかなか開放してもらえない所まで案内、説明頂き、妙見温泉の温かいもてなしで、旅人はすっかりくつろいだ。

翌日、今回のメインディッシュの九州新幹線つばめにいよいよ乗車。シートは2列×2列とゆったりとし、振動も少ない。木製シートに3パターンの西陣織の張地、桜材のロールブラインドとかなり趣向をこらしたところに、博多以西の三十年来の想いが感じられ、鹿児島~新八代間の三十四分はあっというまだった。

昨夜帰宅した私は、高千穂の山々も川沿いの露天風呂もはるか昔の夢のように思え、新旧の電車を比較できたことが一番の贅沢だった



※レポートは、できるだけ原文のまま掲載いたしておりますが、文字数の関係上、多少、割愛または補足させていただきました。

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後日、西田さんより届いた写真。
この特派記者の旅で知り合った岡山の横田さんと一緒に、「都をどり」の見物に京都 に行かれたそう。合わせて、“着物を通して交流を深められる、素敵な出会いをあり がとうございました”とうれしいメッセージもいただきました。『和樂』を通 して、 交流の和がどんどんひろがっていく…。『和樂』にはそんな魅力もあるのです。



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