お披露目会



「金塚晴子さんと金沢“和菓子ざんまい”の旅」特派記者報告(6)

■山中の鄙びの水蛍

浦田喜久美(会社員)

桐箱の蓋を取ったとき、それまで静かに箱の中で羽を休めていた蛍が、今にも飛び立って鶴仙渓へ行ってしまいそうな、そんな気がして息を呑んだ、「福文」の「水蛍」。炭斗(茶道で湯をわかすために、炭を入れて席中に持ち出す容器)の蛍籠のことが思い出された。鶴仙渓で乱舞する蛍も連想されて、限りなくさまざまな世界が私の中で一瞬にして広がったのだった。

「福文」の「唐衣」についての意匠のお話にも魅了された。「かよう亭」での夜は、和菓子についての豊かな歓談の忘れ難いひとときだった。お土産の和菓子も申し分なくおいしく、旅の心を詠んだ業平の歌を口ずさみ、実りある旅を振り返った。

温かいものは温かいうちに。冷たいものは冷たいうちに。懐石では心がけておきながら、こと和菓子においては、あまりに無頓着だった私。金塚晴子さんは繰り返し言われた。「おいしいものは、その土地へ足を運んでいただくのが一番」だと。できたてをいただく。この一語に尽きるのだろう。

「壽屋」のご主人が、加賀蓮根のことを話してくださったこともとても印象深かった。その蓮根の色とモチモチ感が、栽培方法に由来することを教えていただいたとき、「そうだったのか!」と思わず手を打ってしまいそうになるくらい、私にとっては目からうろこの内容だった。幼いころ食べていた白くない蓮根を、今では食する機会がまるでないいからである。

ご一緒した皆さんとの出会いも、そして交流も、その後の文のやりとりも、これからの私の人生に大きな実りをもたらすだろう。今、旅の余韻に押しつぶされそうな、幸せの時間の中でこの旅を振り返っている。「何を大切にして生きているのか」と、自らに問えた旅であったことにもとても満足している。



■大切な宝物
茂木美恵子(学習塾経営)

列車の外はすっかり田植えが終わった水田が美しく「はくたか2号」に乗った私は、平凡な日々を送る主婦の生活から解放され、非現実的な招待状を持って金沢の旅にでました。

参加者と合流しての「寿屋」ではスンナリその中の一員として座に着いた私が不思議でした。さすがに精進料理と古都の趣きを加味した格調の高さは、器ひとつ、素材ひとつ、みな目で、口で堪能しました。金塚晴子さんも、さりげなく暖かみのある受け答えで、自分をしっかり持っている幅の広さを感じました。

山中温泉「かよう亭」のお部屋は、密かに私がマークしていた方々と一緒でした。夕食までの時間、「あやとりはし」へ同室3人で出向いての散策は、鶴仙渓の緑の木立と、道明ヶ淵の水の美しさが、山中温泉の奥深さを表しているようで、とても心に残りました。「かよう亭」での夕食の献立表は今も写 真と一緒に大切にアルバムの1ページにあります。春の名残りの山菜和え物、深山でしか味わえない二輪草などの箸休めは、「かよう亭」のもてなしの一端を感じました。老舗「福文」当主と、金塚さんの和菓子歓談では、芭蕉や古歌が自然に会話の中に出てくる格調の高さに、加賀の和菓子匠の歴史を感じました。

夜は、同室のおふたりと、同年代の気安さで、楽しい一夜を過ごしました。帰省後、メールで、毛筆文でと、まだまだ金沢の余韻を楽しんでおります。参加者や趣きのある金沢、加賀、山中温泉にカルチャーショックをうけながら、今こうして手元にある思い出の品々が、私の大切な宝物となりました。



■欲深な私が『和樂』に目覚めた日
淡路けい子(エッセイスト)

編集部から「当選!」の報を受けて以来、最高潮のワクワクを抱き、その朝、車中の人となった私。お昼前金沢着。翔んで入った「壽屋」。息せき着いたお席、何と目の前に床の間が! 勿体なき上座と思いつつ、しっかり格天井から掛け物お花と、金沢ならではのしつらえを堪能。あとはオープニングご挨拶・自己紹介と、ポッと出オバさんには圧倒の連続。

まずは今回の主柱、敏腕ディレクターからの鮮やかな転身、金塚晴子さんに深く感動した。その、先生と呼ばないでというお気持ちが、「見て見て、どう?」という現代に咲いた一輪の和花である。その訳とおぼしきものは、オール塗りの器でいただいた精進料理、舌にのせたとたん、夢見心地にいざなった「吉はし」の葛菓子「狩衣」にほの見えた。

そののち一路、座は東茶屋街へと。こちらで美味しい金沢茶をいただきつつ、お茶屋さん「志摩」の2階から「ちょいと、そこ行くお兄さん」を気取ったりした。それからバスは、黒瓦美しい金沢の町を抜け、本日のメイン「かよう亭」へと。一歩踏んだ石畳がめずらしい。ステキな若主人のお話では九谷の登り窯を用いたものとか。のっけから感じ入り、続くはさすがの銘旅館。素材をいかした食材、洗練された器、重厚な骨董品、天然木の安心感。自然溢れる坪庭をタヌキまで訪れる! また文化人そのもののご主人はじめ皆さんの気配り、元ホテルマンであられた若主人にいただいたご親切。というのは同室の方々と話し込み、青葉の美渓を巡らずにいたら、彼が「ご案内致します」。4WDを駆って、“独占若さま状態”を楽しんだ私たち!

そして最大の感動は金塚さんと福さんの対話。2時間ほど前に仕込まれたという絶品「水蛍」をいただきながら、和菓子づくりのあれこれをうかがう。味を守ろうとしたら機械づくりはダメ。販売に合わせたレシピだから。業をつむようにあんをこねる。真摯なそのお心は、きらびやかな京都金沢を雅びとするなら、鄙びな大聖寺に脈々と息づく和の粋。また都会は情報や文化性は多いが統一性がないという金塚さんのお話にも頷く。いいものをこしらえる源でありたいと仰る福さんとも、淡々と語られるおふたりの姿が尊く映る。それなんだ! ふと金塚さんの穏やかな変身、その訳が解けた。忙殺の日々に失いかけていたものを取り戻してくれたのは“和”。無心にあんをこねることで和み楽しみ、極められた境地=無欲。その魂に触れえたことは、欲深な私の貴重な指針だ。と、もひとつ、愁眉が開けた地方にあって文化を発信する「福文」さんのお姿。日頃地方の鬱々さをかこつ私に大きなエールとなった。

ともあれ、最初で最後のラッキー事。翌日、金沢の骨董街で金塚先生とばったり再会できたのも良い思い出である。日本人として地方人として“和”と向かい合う心を教えていただいた2日間だった。

※レポートは、できるだけ原文のまま掲載いたしておりますが、文字数の関係上、多少、割愛または補足させていただきました。


「かよう亭」前での集合写真。まさに“大人の修学旅行”。

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「水蛍」のあまりの美しさに、いっせいにシャッターを切る皆さん。



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持ち帰り可能な「福文」の和菓子の注文や購入に殺到する皆さん。



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静かな趣で客人をむかえる
「かよう亭」入口付近。




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さりげなく飾られた生け花。
掛け軸とのバランスが絶妙。




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茂木さんが密かにマーク(!?)していた方々と、「あやとりはし」にて。
写真/茂木美恵子




写真
旧遊廓街の風情が今も残る東茶屋街。三味線の音が聞こえてきそう。



写真
東茶屋街の「志摩」。お茶屋特有
の粋な造りがそのまま残された、
貴重な文化遺産。
写真/淡路けい子







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