お披露目会



「至福の名旅館へ 一泊二日、和みの旅」特派記者報告(3)


7.宿泊先『柳生の庄』

■究極の和の楽しみ方がここにある
文・写真/山本みゆき(主婦)

この日はあいにくの雨模様だった。が、竹林が雨のしずくにしっとりと濡れて、静かに私たちを出迎えてくれた。なんとも落ち着いた佇まい。玄関を入るとラベンダー色のじゅうたんが広がり、正面 いっぱいの壁画には、竹林で遊ぶすずめたちが描かれていた。『竹庭 柳生の庄』は、屋内でも竹の演出を忘れていない。

『若竹の間』に案内され部屋中を見渡すと、完全なる和のしつらい。柱や廊下、座椅子、くずかごにいたるまで、できる限り竹を使っているところに、竹へのこだわりをいっそう強く感じた。客室はもちろん、客室係の応対でも、和の達人技を痛感。ゆったりとした物腰の中にも、洗練された接客術が備わっていて、大和撫子に出会った気がした。そんな女性に一品一品運んでいただいた食事は、ことさら美味しい。十分過ぎるほどの品数とお料理は、たっぷりと時間をかけて五感で楽しませていただいた。

また、夜の露天風呂は、薄暗い明かりの中立ちのぼる湯気が、別 世界にいるような不思議な空間を演出していた。この露天風呂の解放感は、究極の和の癒しかもしれない。『柳生の庄』には、浮き足立つようなきらびやかさはない。しかし、落ち着いていて存在感のある和の豪華さや贅沢さがすべて備わっている。極上の和の楽しみ方がここにあると痛感する思いだった。


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閑雅静寂な雰囲気の渡り廊下を通って離れへ。



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到着時、部屋には抹茶とお菓子が運ばれホッとひと息。

■竹のそよぎと雨の音に包まれるひととき
文・写真/安田靖子(主婦)

雨に濡れる竹を見たいと、入梅の翌日に宿をとった。当日、竹林に群すずめの壁画に出迎えられ、案内されたのは『明月の間』。前庭に竹林と泉水、露天風呂も付いた、数寄屋造りの上品な部屋だった。

楽しみにしていた夕食は、期待以上であった。特に鱧のお椀と温石、鮎の塩焼きは絶品。京風会席料理と聞いていたが、奇をてらうことなく、あっさりとした中に季節感を大切にした遊び心があって、見た目にも楽しい。朝食も、ひと手間かけて温かいものを、という心遣いが感じられうれしく思った。

ようやく、明け方から雨になった。笹の葉を伝う雨の音と時折はねる鯉の音を耳にしながら芥川龍之介の『藪の中』を寝床で読む。しっとりとした空気と雑音を吸い込む雨の音は、まさしく『藪の中』の世界である。

チェックアウトの11時までのんびり部屋で過ごした。高級旅館にありがちな過度なサービスは一切なく、素朴で手づくりの温かさを感じさせる宿。次は紅葉の時期に訪ねたい…、そんな思いをいだきながら宿を後にした。


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竹林に囲まれた風流な佇まい。

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夕食では、美味なる鮎の塩焼きに感動。


8.宿泊先『龍宮殿』

■霧に包まれる龍神の宿
文・写真/武藤郁子(主婦)

芦ノ湖には龍神が住むと言われています。その名のごとく、どこかに龍神さまが隠れていそうな旅館『龍宮殿』を訪ねたのは7月13日。台風一過の東京とは裏腹に、箱根は深い霧に包まれていました。

部屋に入り、夫と娘と3人で霧の芦ノ湖を眺め、仲居さんとのあいさつを交わした後、外へ出掛けることに。時のころは紫陽花の季節。霧のベールが幻想的に紫陽花を装い、霧から浮かび上がる木々の緑に心が癒されていきました。

夕食では、伝統に安住しない新しい懐石の味を堪能。離乳食真っ只中の娘のために、わざわざヨーグルトを用意してくださる温かな心配りにも感銘を受けました。

私たちが今回宿泊したのは、閑静な雰囲気に包まれる端正なつくりの新館。すっきりとした内装や、随所に感じられるホテル仕様の清潔感が、洋風の生活に慣れている私たちにとって快適でもある居心地のよい宿でした。


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一夜明けた次の日もやはり霧模様。ヨーグルト付きの朝食をいただきながら記念写 真を。

■旅館の在り方について思うこと
文・写真/淀井孝子(会社員)

無類の風呂好きである私にとって、旅のメインイベントのひとつはやはり温泉。『龍宮殿』の浴場は、ひと言でいえば“無駄 のない贅沢”を味わえるものであった。装飾などは何もない。しかしながら、心地よく湯を楽しむ要素はすべてそろっている。自然素材の上質なつくりに7つ程の洗い場がある浴場は、こじんまりとしいて本当に落ち着ける。檜の椅子と桶、ガラス越しの深い緑とくれば、いやでも気分は盛り上がるというものだ。ここの湯はくせのないなめらかな湯で、神経痛や筋肉痛に効くとのこと。日頃の不摂生をここで回復すべく、「帰るまでに5回は入浴するぞ!」と決意する。が、結局は3回だった。「やはり自宅に温泉が必要か」とも思ったが、この環境でこの湯だからこそ癒されるものなのだ。

旅館に泊まるということは、全く知らないよその家に泊まるのではなく、それがあたかも自分の別 荘であるかのような、ちょっと贅沢な解放感と満足感を味わうことではないだろうか。そこにある“非日常”と“日常”のバランスが絶妙に保たれたとき、人は最も心地よさを感じるような気がする。日常が非日常とあまりにかけ離れすぎていては十分に楽しめない。私は今回、“華美でない贅沢さ”を十分に味わったが、果 して自分の別荘のように過ごしただろうか。温泉に料理にと満足することばかりだったが、それ以上に感心ばかりしていて、楽しんだというよりも勉強したという表現の方が適切かもしれない。しかし、俳句の心得など全くない私でも、この宿に来て一句詠んでみようかと思った。結局のところ、旅館の神髄とはこのような気分にさせるところにあるのだろうか…、などと考えたりもする『龍宮殿』でのひとときだった。


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深い霧が立ち込める中、『龍宮殿』新館の前で。



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帰りに立ち寄った湿生花園には愛らしいコマクサが。


9.宿泊先『文珠荘 松露亭』

■数寄屋を味わう
文・写真/高見淑子(主婦)

翌朝、1日中沸いているお湯は私がいちばんであった。昨夜は湯気とほの暗さで気づかなかったが、高野槇の湯船のかまちに吹き寄せ菓子のごとく梅、桜、銀杏などの形の小さな木片が埋め込まれている。その遊び心に、なんだかすごいめっけもんをした思いでうれしくなる。すべてにおいて目立たない控えめな意匠、しかしながらそこには、磨き抜かれた技と感性が光る。

坪庭の流水の音を聞きながら、こんこんと沸くやわらかな湯に幸福のひとときを味わっていると、「ちょっと面 白いかな思てやってみただけですワ。喜んでくれはっておおきに」という数寄屋の棟梁の声が聞こえてきそうであった。もしこの宿の空間が日常だとしたら、宿泊した部屋名『浮橋』のように夢の浮橋を渡り、遠くの世界に行ってしまい、現実に戻れなくなるかもしれない。こんな至福はたまに味わうのがちょうどいいのかもしれないと思う旅であった。同行した大学生の娘が旅の最後に「こんな旅をしたかった」とひと言。名宿と呼ばれる日本旅館のよさは、若い世代にも十分に伝わるものなのだと痛感した。


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深い緑に心が安らぐ小庭と風情ある宿を背に。

■天下の絶景を味方につけた至極の温泉旅館
文・写真/鎌谷憲彦(会社員)

『文珠荘 松露亭』は、昭和29年に京都の数寄屋師によって建てられ、当年48歳の円熟の料理旅館である。9年前までは『文珠荘別館』と呼ばれていたが、藤本義一氏が松露亭と名付けてよりこの名前になった。3年前に温泉を引き、今では温泉旅館でもある。天橋立によって囲われた阿蘇海に突き出た小さな半島の先端にあり、3方向海に囲まれた絶好の場所にあるこの宿。天下の絶景が旅館の庭になっている格好である。

旅館の善し悪しを決定するのは、一に立地と言われるが、次は、客への応対のすべてを果たす仲居さんではないだろうか。ここの仲居さんは、ふたりで一室を担当する。私たちの部屋はベテランと新人のペアであったが、旅館の伝統が自然と若い世代に受け継がれていく様を見て、この旅館の懐の深さを感じることができた。

山陰の冬は蟹料理と決まっている。私たちが訪れた夏には、地元で獲れるあこうや鱧、あわびが出された。板前さんをはじめ、仲居さん、庭師、フロント、支配人、10数名の裏方さんに支えられる夕食は、料理と数寄環境、そして仲居さんとの三位一体によって織りなされるエンターテインメントだ。

風光明媚な地に時を重ねる宿で、つかの間の寝泊まりをする楽しみは、長く継承される時の厚みに人の心が和むことから生まれるのを見逃せない。文珠堂の境内に立つ松露亭は、内海に囲まれたその類まれな素晴らしい環境を、お寺とともに何代にもわたって継承するための優れた仕組みのようにも思える。お寺と旅館、この組み合わせは、ヨーロッパには修道院を改造したホテルがあるように、世の東西を問わず人を引きつける魅力がひそんでいるようである

※レポートは、できるだけ原文のまま掲載いたしておりますが、文字数の関係上、多少、割愛または補足させていただきました。

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フロントの前には立札式の茶室が。ここで記帳を済ませ、菓子と抹茶をいただく。



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贅沢な静けさに包まれる浴場では、“美肌の湯”として評判の湯に陶酔。


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