「お番菜」とは、そもそもどんな料理だろうか?
お番菜をいまさら説明するまでもないかもしれない。いまや「おかず」や「お惣菜」の代名詞、もしくは、それらよりもやや品格が高い存在として、この京都語はほぼ全国的に行き渡っている。このお番菜が、どこで、どのように生まれたのかを知っているなら、あなたはかなりの「京都通
」である。
お番菜という食の発祥は、京都の中心地、四条烏丸から一筋か、二筋を西へ行った、室町通
や新町通界隈。この辺りは、西陣織の帯や京友禅のきものを日本各地の問屋を相手に商った呉服の商家の人々が暮らし、働いた場所だ。京都の商家は日々の暮らしで質素倹約に努めたそうで、その象徴的な存在が食といえる。
朝夕は茶漬けや粥と香の物(漬け物)だけで済まし、昼はご飯と汁物、おかず一品の「一汁一菜」を基本とした。一汁一菜といえば、昔は質素倹約そのものを示したメニューであり、その上、商家のおかずは最も安く食べられる旬の食材を使って調理された。
このような商家の生活や食には非常に厳密なルールが設けられており、代々の当主によって書き綴られてきた暮らしの「覚書」が、それぞれに商家にはある。すでにお分かりだろうと思うが、商家に受け継がれてきた、旬の食材を美味しく味わうための料理法が、お番菜という料理ジャンルとして現代に広く知られるようになったのである。
杉本家には食に関する覚書「歳中覚」が伝わっている
江戸中期より京都で呉服商を営んできた「杉本家」の覚書、「歳中覚」にはこうある。
一、年中平生 朝夕茶漬け香もの 昼一汁一菜
但し九月十日から三月二日迄朝茶粥
一、毎月十日 汁 小豆 小芋 焼とうふ
但し五月から八月は焼とうふの代わりになすび
一、毎月二十一日 茶めし汁 とうふ少々
但し五月から八月はなすどんがめ(どんがめ汁というなすびの汁物)
一、毎月十日二十日晦日 右三度 生肴焼もの
但し極月正月二月は生肴
など、と続く。朱筆にて書かれた箇所は、その時々の当主が改めた内容を覚書へ書き加えたところだ。この食事の内容はとても質素なもので、日本人の日々の食生活とは、長くこのようなものであったのだろう、と改めて教えられる。
杉本家10代目・杉本節子さんは、歳中覚を読み返しながらこのように話す。「商家の倹約ぶりに驚かされる反面
、京商家の食生活のあり方が、ひとつの手本として知られる意味があるではないか、と思います。現代は世界中のあらゆる食材を手にすることができ、今は飲食店でなくとも、家庭で気軽に味わうことができます。そんな現代の食のあり方は豊かに見えて、実はとてもいびつなものであるような気がします。では、何を手本にして自然な食生活を考えればよいのでしょうか。そんな気持ちで紐解く歳中覚は、単に我が家の覚書というのとは違った深意があるような気がします」
(協力/杉本節子氏 案内/丹治圭 撮影/内海弘嗣)
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