大そうじの日、寒中の仕事を労った温かなお番菜
町家といえば、高い天井に「おくどさん」(かまど)がある台所がなんといっても印象的だ。高い天井はかまどの熱を逃がし、火事が起これば、火を上に向けて住宅の延焼を防ぐ。この天井部分を火袋(ひぶくろ)と呼ぶ。「節子の番菜覚」の取材の度に台所に立ち、火袋の高い天井を見上げながら、いったいどのように掃除をするものかなどと、いつも疑問に思っていた。杉本家のそこには積もるだろうはずの埃などが見られず、手が届くはずがないのにいつも綺麗に保たれている。
さて、暦は12月。仏事に西へ東へと奔走する僧(師)の様子を表した「師走」(しわす)に入り、四条河原町・南座に顔見世興行の看板が並び掛けられる頃、京都の家々では、大そうじに、買い出しにと、新年を迎える準備が慌ただしく進んでいく。
取材のため、ちょっと早めに「すす払い」(大そうじ)を拝見させていただく手筈を整え、火袋の掃除という、かねてよりの疑問に答えを得ようと杉本家を訪ねた。すると、節子さんは高い壁や天井用に誂えた箒(ほうき)で、台所の掃除をしていた。とても長い、3メートルほどの柄が付いた棕櫚(しゅろ)の箒で、窓枠や壁、柱の埃を丹念に落としていく。この箒を使っても届かない太い貫木(ぬ
きぎ)などの部分は、年に何度か専門の人に登ってもらい、拭き上げているのだという。
かつて商売を営んでいた頃の杉本家では、大そうじとなれば、手伝い方が幾人もやってきた。家の奥のこととはいえ、毎年恒例の一大行事といえることである。京都の人たちは広く、とかく掃除を大切にし、生きる心得や商いの鉄則の一つとして今に受け継いでいる。掃除は、京都人のもてなしの心の、なによりも最初にあるものではないかと思う。そもそも、町家という家の構造自体も、住まいも兼ねながら来客や人の出入りなどの利便性を考慮した、一種のもてなしの気持ちから生まれた賜物といえるだろう。
杉本家代々の当主が年中の用事を綴った「歳中覚(さいちゅうおぼえ)」には、「大そうじ・すす払いの日の献立」が書き記されている。献立には1日5回もの料理を出した記録があり、三度の食事の間になる四つ時(10時)、八つ時(14時)にはお酒を振る舞ったご馳走である。冷え込む12月の寒い仕事を労(ねぎら)った気持ちがのぞいている。
12月1日に更新する「散歩好きの京都~近頃京に流行るもの~」(http://sanpozuki.jp)の連載「節子の番菜覚(ばんざいおぼえ)」では、かつての杉本家の12月恒例であった、すす払いの日の献立を再現している。古文書のくずしたかな文字を読み解きながら作った献立は、こんにゃく煮つけ、にしん昆布巻き、小芋の煮つけなどと、食材に籠もった熱気をほくほくといただくような、温かなお番菜ばかりである。
なかでも、歳中覚の昼飯の項に記述があった「八はい豆腐」は、今回の献立作りのために読み解いた料理の一つだ。江戸期に大阪で出版された豆腐料理の書物「豆腐百珍」に「八杯(はっぱい)豆腐」という豆腐料理が尋常品の一つとして記述されていたのである。この八杯豆腐はうどん状に細長く切った豆腐を温め、だしなどで作った葛餡で閉じこめた、食べやすく温かい料理である。作り方などについて詳しくは、すす払いの日のお番菜と共に「節子の番菜覚」に掲載している。江戸期より続く京商家の師走の味を、ぜひお楽しみ頂きたい。
(協力/杉本節子氏 案内/丹治圭 写真/内海弘嗣)
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